アラフィフママの雑記ブログ(縮)

4歳差姉妹(小6&小2)の子育てに奔走するアラフィフワーママの雑記ブログ。多忙のため縮小してお届け中。

結婚10年目を迎えました。~結婚生活10年間の思い出①~

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こんにちは、あやぞうです。

 

4月8日は花祭り。

お釈迦様の誕生日です。

 

そして、私達夫婦の結婚記念日です♪

何故この日を選んだのかは、話すと長くなるので割愛するとして…・。

私達が入籍したのはちょうど10年前、2010年4月8日。

早いもので、あれから10年。

様々な紆余曲折を経て、二人の可愛い子宝にも恵まれ、決して順風満帆とは言い難いけれど、今こうして無事に10年の節目を迎えることが出来たことに感謝しています。

 

こんな時なのでせめてブログぐらいは明るい話題をお届けしたいと思いまして、今日はそんな10年間の結婚生活を少しだけ振り返ってみることにしました。

お暇な方、あやぞうの私生活に興味のある特異な方、よろしければ少しだけお付き合いくださいませ(^ー^* ) 

 

興味のない方はそっ閉じでお願いしますwww

 

結婚0年目~1年目(2010年~2011年)

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旦那とは24歳の頃に職場で知り合い、その後いろいろあって(色々ありすぎてここでは書けないw)、約10年間の交際期間を経て2010年4月8日に入籍しました。

10年という決して短くない月日の中で、何度も離れたりくっついたりしながら、なんとなく結婚に至らないままズルズルと交際を続けていました。

いつかは、とは思っていたものの、お互い複雑な家庭環境の持ち主で面倒ごとが多かったので、いっそこのままでも構わないのかも、とも考え始めていた頃でした。

 

祖父に晴れ姿を見せたくて

2010年が明けた頃、持病を患っていた父方の祖父の病状が悪化し、残された時間はあとわずかと告げられました。

特別おじいちゃんっ子だったわけではないけれど、初孫ということもあって随分可愛がってもらったし、その時点でまだ孫が誰一人結婚していなかったので(私が最年長であとはそれぞれ1~2歳差で5人)、せめて一人ぐらい孫の晴れ姿(って言う?)を見せてあげたいと思い、タイミング的にも今だろうということで急遽入籍を決めました。

長く付き合ってると、一歩踏み出すのに何らかの理由が欲しいんですよね。

祖父の件が無かったら、もしかしたら今も事実婚のままだったかもしれません。

おじいちゃん、ありがとう!

 

そこからは毎日バタバタで(^_^;)

 

まずは両親に結婚の報告。

旦那との交際を知っていた母には普通に「結婚することにしたよ」と告げ、祖父母と暮らす父には面と向かって話を切り出すのが照れ臭かったのでメールで「結婚します」と伝えました。

メールを読んだ父は血相変えて部屋から飛び出てきたそうですwww祖母談

 

次に母と同居するための新居探し。

時期的に年度がわりのタイミングだったので、物件が比較的沢山あってスムーズに引っ越し先が見つかったのはラッキーでした。

そこから1ヶ月かけて引っ越しの準備をし、業者を使わず数日がかりで自分たちで荷物を運んでなんとか期限ギリギリで引っ越し完了。

うっかりガスの開栓手配を忘れていて、慌てて前の家にお風呂に入りに行ったのはいい思い出ですw

 

そして4月8日、午前中に市役所へ婚姻届けを提出し、晴れて夫婦になりました。

 

午後はその足で予約してあったブライダルフォトの撮影へ。

この年も今年のように桜が遅咲きで、桜の舞う公園でロケ撮影を行いました。

散歩に訪れる人が多くてちょっと恥ずかしかったけど、「とっても綺麗ですよ!」というカメラマンのお姉さんにのせられて、ついモデル気分でノリノリでポーズとっちゃいましたwww 

 

父方祖父に続き、母方祖母も急逝

入籍から1ヶ月も経たない4月の後半、祖父が旅立ちました。

ブライダルフォトのアルバムは間に合わなかったけれど、頂いたデータをプリントして祖父に見てもらうことが出来たので良かったです。

思い切り目尻を下げながら「なんだ、着物着なかったのか」という祖父の言葉が今でも耳に残って離れないので、いつか着物の写真を撮って墓前に供えたいなと思っています。着物なら年取ってからでも着れそうなので。

 

そして、祖父が亡くなって2ヶ月後、母方の祖母が亡くなりました。

風邪をこじらせての肺炎でした。

入院して間もなくのまだ意識があった頃、旦那と一緒にお見舞いに行くと、「最後のお祝いだから」と言って結婚祝いのご祝儀を渡してくれました。

その後すぐに病状が悪化し祖母は帰らぬ人となりました。

御目出度い出来事と悲しい出来事、2010年は沢山のことが起こった一年でした。 

 

2011年、ついに母となる

翌2011年の1月、ついに念願の妊娠が発覚しました。

そして9月に長女を出産。

あやぞう、ついに母となりました。

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初めての妊娠、初めての出産は予想外のことばかりで、今でも(おそらくこれからも)私史上一番心に残る出来事です。

 

妊娠~出産についてはこちらで詳しく綴っています。

mamazakki.hatenablog.com

 

娘が3ヶ月の時にはマタニティ向け雑誌たまごクラブの付録に掲載されました♪

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ずっと雑誌のモニターをしていて、体験談を応募したところ見事採用されました。

いい記念になりました(^ー^* )フフ♪今見るとだいぶ若いなー。さすが30代。

娘が生まれてから生活は一変。

それまで自由気ままな大人だけの生活サイクルだったのが、娘が生まれたことで様々な制約ができて、親になることの大変さを実感しました。

娘の出産を期に退職し専業主婦になったけれど、自分だけが社会から取り残されたようで、俗に言う「産後うつ」のような状態まで落ち込んだこともありました。

その後、経済的事情により在宅ワークを開始。

当時人気のあったSOHOの仕事を受け、テスト原稿の入力や商品調査、間取り図の作成など数種類のお仕事をさせて頂いていました。 

 

結婚2年目~4年目(2012年~2014年)

娘が赤ちゃんのうちは在宅ワークも順調にこなせていましたが、成長とともに活発に動き始めると、子供を見ながらの在宅ワークにも限界が。

失業保険の給付も終了となり、いよいよ厳しくなってきたため再就職を決意。

運よく出産前に勤めていた会社で欠員が出て(もともと私がいたポジション)、まるで育休明けのようにしれっと復職に成功しましたw

っていうか、こんなことなら普通に産休・育休取って復帰すればよかった!

手当分損した…_| ̄|○

もともと子供が幼稚園に通うまでは家にいるつもりだったので、当時の私は保育園の待機児童問題なんてまったく知らず、 いざ復職が決まってはじめて保育園は簡単に入れないということを知るのでした。

 

まじか!!

 

幸いウチの会社はほぼ家族経営の零細企業なのでその辺は融通して貰えて、午前のみ、午後のみ、など子供を預ける祖母の都合に合わせて柔軟に対応してくれたので、保育園の空きが出るまでの半年間は自主的にフレックス制を導入して仕事をしていました。 

「来れる時間書いといてー」みたいな感じで毎月シフト自己申告でした。超アバウト!w

 

そして長女が1歳8ヶ月のとき、ようやく保育園に空きが出て晴れて入園が決定。

しかも自宅から徒歩5分の認可保育園という超好条件の保育園。

改めて考えてみると、とんでもなくラッキーでしたね。 

ここから私の保育園ママとしての生活がスタートしたのでした。 

 

 

 

ということで、予想通り(?)長くなったので今回はここまで。

続きはまた次回(@^^)/~~~